システムの安定稼働を含むユーザー体験の最適化は、現代の企業にとって不可欠な要素です。IPA(情報処理推進機構)が公開する「情報セキュリティ白書」や、内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)の「サイバーセキュリティ経営ガイドライン」でもシステムの継続的な監視の重要性が強調されており、適切なモニタリングが事業継続を左右することが指摘されています。
こうした背景のもと、デジタルエクスペリエンスモニタリング(DEM)への関心が高まり、多くの企業が導入を進めています。本記事では、DEMの重要性や導入のメリット、具体的な導入・運用のポイントについて解説します。
デジタルエクスペリエンスモニタリング(DEM)とは、ユーザーがWebサイトやアプリなどのデジタルサービスを利用する際の体験をリアルタイムで可視化・分析し、最適化するためのツールおよび手法です。
DEMは、主に下記のような目的で企業に活用されます。
・パフォーマンスの問題やユーザー行動を詳細に把握し、快適なデジタル体験を提供する
・システムの改善やトラブル対応を迅速に行う
近年、企業のデジタルサービスの品質はますますビジネスの成果に直結するようになりました。Webサイトの表示速度やアプリの安定性が、ユーザーの企業に対する信頼度や顧客満足度を大きく左右します。
DEMを導入することで、これらの問題を事前に検出し、迅速に対処できます。また、システム管理者はデータを使って効率的な運用・保守ができるため、業務の生産性向上にも貢献します。
従来のモニタリング手法とデジタルエクスペリエンスモニタリング(DEM)の最大の違いは、監視の対象と目的にあります。
従来の手法では、主にサーバーの稼働状況やネットワークのトラフィック、アプリケーションのログなど、システムの正常性を技術的な指標で評価することに重点が置かれていました。 一方、DEMはエンドユーザーの視点に立ち、実際の操作性やアプリケーションの応答速度、サービスの快適性といったユーザー体験そのものを可視化することに特化しています。それにより、例えば、システム側では正常に動作していると判断されても、特定の環境やデバイスでは画面遷移に遅延が発生しているといった問題を検知し、迅速な改善につなげることが可能になります。
DEMには、デジタル体験を最適化するためのさまざまな機能があり、代表的なものとして以下の三つが挙げられます。
実際のユーザーがWebサイトやアプリをどのように利用しているかをリアルタイムで分析し、遅延やエラーを特定します。特に、異なるデバイスや地域によるパフォーマンスの違いを把握することで、特定のユーザー層に対する最適化が可能になります。
仮想ユーザーを用いて、システムのパフォーマンスや可用性を継続的にテストし、問題を事前に検出します。例えば、ピーク時の負荷テストや新機能リリース前の動作確認などに活用され、実際のユーザーに影響を与える前に課題を発見できます。
サーバー応答時間、ネットワーク遅延、デバイス別の負荷状況などを細かく解析し、最適なパフォーマンスを維持するためのデータを提供します。これにより、ボトルネックの特定やリソース配分の最適化を行い、安定したユーザー体験を実現できます。
これらの機能を組み合わせることでどのような効果が得られるのか、二つの事例で確認してみましょう。
ある大手ECサイトでは、商品をカートに入れてからの放棄率が高いという課題を抱えていました。従来のシステム監視では特に問題が検出されなかったものの、DEMを導入し、ユーザーの動線や実際の操作環境を詳細に分析した結果、特定のブラウザでページ遷移時に大きな遅延が発生していることが判明しました。
この問題に対応するため、システムの最適化とブラウザごとのパフォーマンス改善を実施。その結果、ページの読み込み速度が向上し、コンバージョン率が20%改善。DEMの活用によって、従来の監視手法では見落とされていたユーザー体験の課題を特定し、売上向上につなげることができました。
あるクラウドサービス企業では、新機能リリース後に特定の時間帯でアクセス集中が発生し、システム応答速度が低下するという課題に直面していました。さらに、従来の監視手法では、障害が発生した後の原因分析に時間がかかり、ユーザーからの問い合わせ対応に追われる状態がつづいていたのです。
そこで、合成モニタリングを導入し、仮想ユーザーを用いた定期的なパフォーマンステストを実施したところ、ピーク時間帯に特定のAPIリクエストがボトルネックとなり、遅延を引き起こしていることが判明。APIの負荷分散設計を見直し、キャッシュの最適化を行った結果、システムの応答速度が30%向上し、ピーク時の障害発生率が大幅に低下しました。
DEM導入は、「KPIの具体化」「ツール選定・導入」「既存システムとの統合」「継続的な運用と改善」の4ステップで進めることができます。 それぞれの段階で意識すべきポイントを見ていきましょう。
まずは、何を改善すべきかを明確にするためのKPIを設定します。KPIが曖昧なままでは、モニタリングの方向性が定まらず、DEMの導入効果を最大限に発揮することができません。
・初期段階ではシンプルな指標を設定
導入初期は「ページロード時間」「アプリクラッシュ率」「ネットワーク遅延」といった基本指標をモニタリングし、段階的に詳細な指標へ拡張します。徐々に成功体験を積み、運用しながら分析の幅を広げていきましょう。
・業務部門ごとにKPIを分ける
KPIの設定は、技術部門とビジネス部門の視点を分けることが重要です。IT部門向けにはサーバーレスポンスタイムやエラーレート、ビジネス部門向けにはコンバージョン率やユーザー離脱率など、各部門の役割に応じた指標を設定することで、より実用的なモニタリングが可能になります。
・異常値のしきい値を定期的に見直す
システム環境やユーザー行動は時間とともに変化するため、一度設定したKPIのしきい値(閾値)は、市場環境の変化や特定イベントの発生に合わせて定期的に見直すことが求められます。
自社の要件に適したDEMツールを選び、導入の準備を進めます。ツールによって機能や強みが異なるため、適切な選定が重要になります。
・試験導入(PoC)を実施する
いきなり全面導入するのではなく、特定のシステムやユーザー層を対象に試験導入(PoC:ProofofConcept)を行い、実運用での有効性を確認しましょう。特に、先に設定したKPIの改善につながるか、既存システムとスムーズに統合できるかなどが見るべきポイントとなります。
・主要機能を比較し、自社に適したツールを選定する
DEMツールにはさまざまな機能が備わっていますが、すべての機能が必要とは限りません。導入目的に応じて、機能の優先順位を整理し、最適なツールを選びましょう。
・チームのスキルに合わせた選定
高度な分析機能を備えたツールを選んでも、実際に運用できなければ意味がありません。エンジニアだけでなく、UX担当やビジネスチームも活用しやすいツールを選定することで、組織全体でのデータ活用が進みます。
DEMは、単体で運用するのではなく、既存のITシステムや運用ツールと統合することで、より効果的な分析と迅速な対応が可能になります。
・APM(アプリケーションパフォーマンス管理)との連携
DEM単体では、ユーザー体験の評価には優れているものの、システム内部で何が起きているのかまでは把握しにくい場合もあります。そのため、APMツールと統合し、アプリの動作やサーバー負荷とDEMデータを組み合わせることで、さまざまなメリットが得られます。
・ログ管理ツール(SIEM)との統合
エラーログやアクセスログとDEMを連携させることで、異常発生時の影響範囲をより精緻に可視化することができるようになり、エラーの原因の早期特定やサイバーセキュリティの強化、予兆検知などが行えます。
・CI/CDパイプラインとの連携
CI/CDパイプラインとDEMを統合し、合成モニタリングを活用することで「リリース前にパフォーマンステストを行い、本番環境への影響を事前に評価する」「異常を検知した場合ロールバック処理を実施し、安定したユーザー体験を維持する」といったプロセスを自動で実行することが可能となります。
定期的なデータ分析と最適化を繰り返すことで、DEMは効果を最大限に発揮します。システムやユーザー行動は常に変化するため、モニタリング結果を適切に活用し、継続的な改善を行うことが不可欠です。
・定期的なレポーティングで改善状況を可視化
DEMの導入によって収集したデータは、単なる監視に留めるのではなく、定期的なレポートを作成し、関係者と共有することが重要です。レポーティングを習慣化することで、DEMを一時的な施策ではなく、継続的なUX改善のための基盤として活用できます。
・異常検知の自動化で迅速な対応を実現
AIを活用した異常検知機能を導入することで、動的なしきい値の設定が可能となり、トレンドの変化や異常検知に応じた対応が即座に行えるようになります。自動化によりシステム管理者の負担軽減につながるのも見逃せないポイントです。
・定期的なユーザーテストと比較
DEMによる数値データの分析だけでは、実際のユーザーがどのように感じているのかを完全に把握することはできません。そこで、定期的なユーザーテストやA/Bテストを組み合わせることで、データだけでは見えないUXの課題を発見し、より精度の高い改善が可能になります。
システムの健全性を維持するだけでなく、ユーザー体験を可視化し最適化することが、デジタルサービスの品質向上では不可欠です。本記事では、従来の監視手法との違いを踏まえながら、DEMの主要な機能や導入のステップを詳しく解説しました。企業のDXも新たなフェーズに突入した今、競争力を高めるためにも、DEMを積極的に活用し、より快適なユーザー体験を提供していきましょう。