
歴史を振り返ると、産業革命は人々の生活と社会構造に決定的な変化をもたらしてきました。欧州委員会が2021年に発表した「インダストリー5.0」では、従来の効率性や生産性の追求を超えて、人間と社会の価値を中心に据えた産業の在り方が提示されています。
本記事では、インダストリー5.0誕生の背景、三つの柱、そして労働者や産業が得る利益について解説します。
これまでの産業革命は、技術革新を軸に社会や経済の仕組みを大きく変化させてきました。18世紀の蒸気機関による第一次産業革命から始まり、大量生産を可能にした第二次産業革命、コンピューターや自動化が進展した第三次産業革命、そしてAIやIoT、ロボティクスの導入で進む第四次産業革命へと移行してきました。。現在はこれをさらに発展させた「第五次産業革命(インダストリー5.0)」が世界的に注目を集めています。
欧州委員会は2021年に報告書「Industry 5.0: Towards a sustainable, human-centric and resilient European industry」を公表しました。この中で、インダストリー5.0/第五次産業革命では、第四次産業革命が重視した効率化や生産性に加えて、人間の幸福や社会的価値を中心に据えた産業の在り方を目指すことを強調しています。気候変動やパンデミックといった地球規模の課題を背景に、産業は単に利益を生み出すだけでなく、持続可能でレジリエントな社会の基盤としての役割を担うべきだと指摘されています。
インダストリー5.0は、「人間中心(Human-centric)」「持続可能性(Sustainability)」「回復力(Resilience)」の三つを柱として構築されています。
従来の産業革命では、効率や自動化が最優先され、人は単なる生産手段の一部として捉えられがちでした。インダストリー5.0ではこの考えを転換し、人間の幸福や尊厳を守ることを最優先に据える点が特徴です。労働者は機械に置き換えられる存在ではなく、創造性や意思決定を担う主体として位置付けられます。協働ロボットやAIの活用は、人間を補助し、危険な作業から解放し、より安全で柔軟な職場環境をつくる手段とされています。また、多様性を尊重し、誰もが排除されないインクルーシブな社会の実現を目指します。
インダストリー5.0では、環境と調和した産業活動が重視されます。資源の効率的な循環利用、再生可能エネルギーの導入、廃棄物削減の推進などを通じて、環境負荷を最小化しながら経済活動を持続可能にすることを目指します。さらに、AIやデジタルツインなどの先端技術を活用して生産プロセスを最適化し、エネルギー消費やCO₂排出量の削減を実現します。これは環境対策にとどまらず、企業の長期的な競争力を高める基盤ともなります。
現代社会はパンデミック、自然災害、地政学的リスクなど、不確実性の高い環境にさらされています。インダストリー5.0はこうした変動に耐えうる強靭な産業構造の構築を目指します。具体的には、柔軟に切り替え可能なサプライチェーンの整備や、分散型の生産体制の導入が挙げられます。これにより、突発的なリスクにも対応できる体制を整え、経済だけでなく社会インフラや地域社会全体の安定にも寄与します。

インダストリー5.0は理念にとどまらず、労働者や産業に具体的な利益をもたらすと期待されています。
インダストリー5.0は労働者の役割を「人を中心に据える」という観点で再定義します。自動化やロボティクスが単純作業を代替することで、労働者はより創造性や付加価値を発揮できる業務に集中できます。リスキリングやアップスキリングの必要性が高まりますが、これはキャリアの選択肢を広げる機会ともなります。さらに、AIや協働ロボットが危険な作業を担うことで、安全で働きやすい環境づくりが進み、インクルーシブな労働環境の実現に貢献します。
インダストリー5.0は産業側にも大きなメリットをもたらします。まず、労働者のモチベーション向上や働きやすさの改善により、優秀な人材の確保と定着につながると期待されます。さらに、資源効率の向上や再生可能エネルギーの活用によってコスト削減が進み、国際競争力を強化できます。加えて、分散型の生産体制や柔軟なサプライチェーンの構築により、外部環境の変化に強い産業基盤の確立が期待されます。
インダストリー5.0は単なる技術的進化ではなく、社会の在り方そのものを問い直す新しい産業の枠組みです。人間を中心に据え、持続可能性と回復力を兼ね備えた産業は、未来の社会に安定と豊かさをもたらすと期待できます。インダストリー5.0を単なる概念で終わらせず、自らの現場や組織で小さな一歩を踏み出すことで、未来を形づくる第一歩となるでしょう。